園山光博のホームページ

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Profile

#TheThird,#ToruOoki,#YllowBlues

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略歴1:1973年〜2013年

1953年東京生まれ。

幼少期を伊豆諸島の八丈島で過ごす。

中学からクラリネットを始め、大学からサックスを始める。

この写真は、1973年頃初めて入った大木トオルとThe Thirdで日比谷の野外音楽堂に出演した時のものと思われます。

その後、ディスコでハイジャックというバンドを結成して、アルバムを1枚制作しました。

その後、大田裕美さん、杉田次郎さんなどのバックバンドを経て、中村あゆみさんのデビューや、角松敏生さんのホールツアーなどに参加。

1987年、オフコースのAs Close as Possibleツアーに参加。

1989年のオフコース解散後も、小田和正さんの下、Far East Club Bandリーダーとして2012まで在籍。

略歴2:2000年から始まる園山バンドについて。

1993年に40歳を迎えた頃、「自分は何を目標に音楽を目指したのか?」と考え始めた時に、本当は自分のオリジナルの楽曲を演奏したかったのだと気づき、作曲を始めたのです。

それから10年を要しましたが、ようやく納得いくような楽曲が作れるようになったので「園山バンド」というグループを作って演奏活動を始めたのです。

最初は横浜の登竜門というところでやらせてもらっていましたが、知人の勧めで4回目からは日本のフュージョンミュージックの殿堂である、六本木ピットインでやらせてもらえるようになりました。

この頃は自分で絵まで描いて、こんなフライヤーを作っていたんですね、、、我ながらすごい熱量と思います❗️

略歴3:2013〜

2013年以降は、元美空ひばりさんのバックを務めていた、スカイジャズオーケストラというビッグバンどをはじめ、いくつかのビッグバンドや、ジャズのセッションに数多く参加するようになる。

こちらの写真はスカイジャズオーケストラが東京のブルーノートで公演を行った時のものですが、隣にいる大先輩の黒田一義さん(故人)には大変可愛がっていただき、演奏方法や音色にも大きな影響を受けました。

様々な音楽との出会い。

僕が実際に音楽の現場に踏み込んだ1970年台は、まさに多くの種類の音楽が続々と誕生し始めた時でもありました。そのような音楽が混じりあって発展したのが「フュージョンミュージック」と言っていいと思います。

僕もブルースバンドに始まり、ディスコ、フォーク、歌謡曲、ニューミュージック、ジャズと多くの範囲に携わってきました。

2019年、アメリカから帰国して日本ツアーを行った、グラミー賞受賞歴のあるトランペッターの大野俊三さんのツアーにゲスト参加できたことは、僕にとってエポックメーキングな出来事だったと言っていいでしょう。

これからのこと

2020年からの数年間は世界的なコロナの蔓延によって、音楽業界も様々な停滞を余儀なくされましたが、そんな中でも僕も新しい挑戦を数々やってきました。

その中の一つが、篠笛奏者の藤原雪さんとのコラボレーションです。

2022年の暮れ、ニューヨークの国連本部での演奏に招かれた際に、巨匠ビルラズウェルさんたちとレコーディングを行いました。

この音源は「2024年秋にギリシャのレーベルから発売されることが決まった」というニュースが先ほど入りました。

まさに音楽に国境は無い!

残りの人生も全て音楽に捧げるつもりです。

2024年7月

Mitsuhiro Sonoyama
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